8月のアトリエ・6日に想う
今日は広島に原爆が落とされた日、やはりこんな暑い日だったと聞いている。
原田の母は当時日赤の従軍看護婦で、9日に長崎に原爆が落とされた後、救護隊の一員として長崎に派遣され、ひどい光景を見たことをポツリポツリ、話してくれた。
病院で治療しようにも、医薬品が無く、傷口にウジが湧いていても手の施しようがなかった事、終戦で精神がおかしくなり、暴れる人、自殺する軍人も多かった事、食べるものが少なく、お芋が手に入るとこっそり消毒器で蒸した事などなど。
その母もずっと甲状腺の異常を抱えていたが、今年十三回忌を迎る。
もうすぐお盆、死者の霊が帰って来るとされているが、文明の利器に浴することはあまりない質素な暮らしをした母は、3月11日とその後の福島をどう思うだろう。
原爆投下も、原子力開発も人の手によって為されたことは、人の手によって救う道が開かれるはずだと、信じたいものだ。
こんなかわいい作品を描く子供達の為にも。